私の人生観を作った映画(王立宇宙軍 オネアミスの翼)

「王立宇宙軍 オネアミスの翼」とは、1987年に公開されたアニメーション映画。

王立宇宙軍 オネアミスの翼
王立宇宙軍 オネアミスの翼

1960年ごろの地球に似た架空の惑星のオネアミス王国での初の有人宇宙飛行を描いた物語。

この映画は確か公開当時から知っていた。
そして、公開から1,2年後にTVで放送していたのを見たのが最初だと思う。
当時私は大学生だったが、高品質なアニメーションと宇宙開発の物語という事で録画したビデオテープは何度も見たと思うし、それから数年後に買ったDVDも何度も見ている。

作品のテーマをしっかり理解したのは最近のようにも思うが、久しぶりに先日見た時にハッとした。
この作品が、私の今の人生観、職業観、世界観などの基礎となっていることに気づいたのだ。


ここからストーリーにも触れて書いていくので、ネタバレを気にする方はご覧にならない方がいいです。



ストーリーとしては以下の通り。

ーーーーーー

ジェット機に憧れて、水軍のパイロットを目指していた主人公シロツグだったが、学校の成績が振るわず水軍をあきらめて宇宙軍に入った。

宇宙軍はシロツグの言葉を借りれば、「戦争はしない」「ただ、宇宙へ行こうっていうだけの団体」であり、実際には1960年ごろの地球同様、宇宙へ行った事のある人間などいなかった時代、夢みたいなことを言っている役立たずと思われていた組織であった。

政府からも冷遇されており、隊員たちも士気が低く、「適当にやっていれば金が貰える。」という程度の意識で所属していた。

そんなある日、シロツグは街で宗教の布教の為のビラを配る少女、リイクニと出会う。

リイクニは宇宙軍の事を知らなかったが、戦争をせず宇宙を目指すことを立派な職業だと評した。
宇宙軍であることにコンプレックスを感じていたシロツグはその言葉に奮起し、おりしも宇宙軍で計画を開始した有人宇宙飛行のパイロットに志願する。

その事によりシロツグは一躍オネアミス王国の英雄となる。

しかし、ロケット作りの中心人物でシロツグが信頼していた博士がロケットの燃焼試験中の事故で死亡。
さらに、国民は宇宙開発よりも国民の生活を何とかしろと反対運動を展開する。

そんな状況の中、シロツグは自分のやっていることが正しいことなのか迷い始める。

そして、TVのインタビューに出演する直前、記者から宇宙軍の予算で多くの国民に温かい食事を与えられる事、軍上層部が汚職に関わっている疑いがかかっている事などを問い詰められ、その場を立ち去ってしまう。

そのままリイクニのもとに身を寄せたシロツグは廃人のように2日を過ごすが、衝動的にリイクニに乱暴をはたらこうとし、リイクニに殴られて気絶してしまう。
翌朝リイクニに謝罪するシロツグだが、リイクニは立派な人を殴った自分が許せないという。

その言葉に目が覚めたシロツグは、ロケット打ち上げに備えて天文台へ向かう仲間の見送りに顔を出す。

その帰り道に仲間に自分の迷いを打ち明け、励まされる。

直後、敵対している国から仕向けられた暗殺者に命を狙われるが、踏ん切りの付いたシロツグは再び宇宙を目指す。

そして、ロケットと発射施設を奪おうと敵国が侵攻してくる中、間一髪打ち上げは成功する。

そして宇宙からシロツグはラジオ放送で地上に語りかける。

ーーーーーー


このような物語の中でいくつか印象に残るセリフがある。

まずは冒頭で、水軍をあきらめ、宇宙軍に入ったことを語る独白の冒頭部分。

「良い事なのか、それとも悪いことなのか分からない。
 でも多くの人間がそうであるように、
 俺もまた、自分が生まれた国で育った」


なんか当たり前のことを言っているだけのようだが、とても深いセリフだと思う。
「多くの人間」は特に意識することもなく「自分が生まれた国で育った」のだろうが、世界にはやむなく生まれた国を出る人もいるだろう。
逆にほかの国に行きたいのに行けない人もいるだろう。
果たして自分には「良い事なのか、それとも悪い事なのか」。
一度考えてみるのも良い問題かもしれない。

次は暗殺者に狙われる直前に、市場の金物屋の前での仲間との会話。

「もし現実が一つの物語だったとして
 -中略ー
 自分が正義の味方じゃなくて、
 悪玉なんじゃないかと考えたことあるか」

「さぁなぁ、、ただ、周りの奴ら、親とかみんな含めて
 そいつらがほんのちょっとでも必要としてくれているから
 俺は居られると思っている。
 金物屋だってそうだ。
 誰かが必要としてくれているからこそ金物屋でいられるんだ。

 この世に全く不必要なものなんて無いと思っている。
 そんなものが居られる筈がない。
 そこに居ること自体、誰かが必要と認めている。
 必要でなくなったとたんに消されちまうんだ。
 こう思う。どうだ。」

この言葉でシロツグは迷いを払拭する。
「自分が正義の味方じゃなくて、
 悪玉なんじゃないかと考えてことがあるか」
まさに、シロツグ自身のその時の心理状態である。

人類初の宇宙飛行士として英雄扱いをされていたが、仲間が死に、貧しい国民を踏み台にして宇宙を目指すことが果たして偉業なのか。
そんな迷いだ。

それに対して仲間のマティは正義の味方とか悪玉とかという事ではなくて、存在している以上みんな必要な人間なんだと説く。
そりゃぁまぁ、悪いことばっかりして生きている人間だって沢山いるかもしれないけど、それは置いておいて、どんな職業だって世の中に必要とされている。
これって、まさに私の職業観なのですよ。

私がよく使う例えはキャンプ。
キャンプに行けば、テントを張る人、薪を集める人、かまどを作る人、料理の下ごしらえをする人、火を起こす人、料理をする人、等々、いろんな役割をいろんな人が担って成り立つわけです。

実社会だって、いわゆるサラリーマンだけが居ればいいのではない。
サラリーマンを職場に送り届ける交通機関の人、職場となるビルを作る人、職場で使う設備や電気などを作って送り届ける人、お昼のランチを作る人、そもそもサラリーマンの家を作る人、服を作る人。
書き出したらきりがないほどの人が社会の中で関わりあって社会を構成している。
そう、自分がサラリーマンでなくても、社会のどこかを支えているキャンプの一員なのだ。

「食っていくために仕事をする。」も正しいが「社会を構成するために仕事をする。」
それが私の職業観。
だから、みんなが自分の得意を仕事にできたらいいと思うし、「職業に貴賎なし」もまさにその通り。
現実には、職業によっては食うのもやっとという低賃金のものもあるとは思うが、どんな職業でもそれなりに豊かな生活ができる。
そんな社会になってほしいと思う。

自分の得意はこれなんだけど、これだと食っていけないよなぁ、、、
なんて言って得意を使わないのはもったいないですよね。


そして、最後。
いつ砲弾が飛んでくるかわからない状況の中でロケットを打ち上げ、無事に衛星軌道に乗った宇宙船からのシロツグのラジオメッセージ。

「地上でこの放送を聞いている人、いますか。
 私は人類初の宇宙飛行士です。

 たった今、人間は初めて星の世界へ足を踏み入れました。
 海や山がそうであったように、かつて神の領域であったこの空間も
 これからは人間の活動の舞台として、いつでも来られる
 くだらない場所となるでしょう。
 
 地上を汚し、空を汚し、
 更に新しい土地を求めて宇宙へ出て行く。

 人類の領域はどこまで広がることを
 許されているのでしょうか。

 この放送を聞いている人。
 どのような方法でも構いません。
 人間がここへ到達したことに
 感謝の祈りを捧げてください。

 どうかお許しと憐れみを。
 我々の進む先に暗闇を置かないでください。
 罪深き歴史のその先に
 揺ぎ無い一つの星を与えておいてください。」


多くの犠牲を払ってここまで到達したシロツグの心からの言葉であろう。
発射直前まで練習していた言葉とは違う言葉を発している。

宗教的な言葉にも聞こえるが、それはリイクニの影響もあったとは思うが、まさに神の目線で地上を見下ろしているシロツグの素直な表現なのかもしれない。

宇宙飛行士からよく聞かれる「宇宙から見た地球には国境線などない。」「儚く脆く見える星が、今人類が住める唯一の場所なのだ。」という言葉を思い出せば、すっと心に入ってくる言葉であろう。

こうした視点が今の地球人たちにも必要なのではないか。
これもまた、私が10代の頃から感じていた世界観だ。

そして、
「どのような方法でも構いません。
 人間がここへ到達したことに
 感謝の祈りを捧げてください。」

祈るという言葉から宗教を想起させるが、宗教は度々戦争の原因となる。
「どのような方法でも」というのは、「どんな宗教を信じている人でも」と読み替えることもできるだろう。
宗教の違い、あるいは宗教を信じる信じないもすべて乗り越えて人類が一つになってほしい。
そんな願いさえも感じられるセリフだ。

私はこう言いたい。

「この映画を見て感動した方。
 どんな方法でも構いません。
 世界中の人が幸せに暮らせるようになることを
 祈ってください。」


王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD]
王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD]

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

この記事へのコメント

ゲンタロウ
2019年10月12日 01:06
いやぁー深いですね。

結局、争い事は、人間の欲のぶつかり合いが原因で、物欲や支配欲、性欲など動物の本能的な部分が、知性・理性を超えてしまう時に起ります。大脳の外縁部が中心部に負けてしまうわけですが、その中心部をコントロールするのを奨励するのが宗教。しかし、宗教、特に一神教がまた歴史上、多くの争い事を生んできました。 

宗教の中でも仏教は比較的、平和な教えではありますが、それ故に、一神教徒から侵略、支配されてきました。平和を実現し守るためには、戦わなくてはならない、なんという矛盾。 

地球の環境破壊を考えると、人類がこれ以上経済的な繁栄のみを追求する事を止めなければなりませんが、じゃあ、現時点で発展途上にある国々は、経済的繁栄を諦めなければならないのか? それとも、先進国の人々が自分たちの生活レベルを下げて、途上国の人々に富を分かちあえるのか? 巨万の富を持つ富裕層の人々は、そんな事できるのか?

この地球に、未来はあるのか? なんて、大きな事を考えてしまいます。
2019年10月13日 10:25
ゲンタロウさんこんにちは。
私は、もし神という存在が実在するとしても、同じ神を感じて様々な解釈をして様々な宗教が存在するのだと思っています。
つまり、いかなる宗教であっても同じ神をあがめている可能性もあるのだという事。
仲良くしてほしいですね。
多少の見え方の違いで神様がとやかく言うと思いますか?と。

ゲンタロウさんは少なくとも今は「自分が生まれた国」ではないところで暮らしていらっしゃるので、生まれた国にずっといる人よりも地球規模の視点に近い視点をお持ちなのかなと思います。
みんながそういう視点を持てればいいですね。

この記事へのトラックバック